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欧州演奏会のページ

<ワルシャワ演奏会合同演奏 ショパン音楽大学ホール>


<合唱団「萩」欧州公演を終えて> 団長 末光眞希

 2016年5月の第一週、合唱団「萩」はベルリンとワルシャワの二大公演を成功裡のうちに終えることができました。何より、団員の皆さん、岡崎先生、石垣さん、そして随行下さった方々全員が大きな怪我や病気あるいは事故なく、無事帰国できましたことを、皆さまとご一緒に喜びたいと思います。幾多の困難を乗り越えて無事に引率下さったワイエスツアーズの堤さん、濱田さんご両人のご苦労も多としたいと思います。
 合唱団「萩」はこれまでNY、スペインと二度の海外公演を行ってきました。しかし今回はこれらと大きく性格の異なる海外公演となりました。まず、初の「萩」独自企画の海外公演でした。これはそのようなノウハウをまったく持たない我が団にとって、たいへん大きな挑戦でした。また今回は、震災復興や支倉四百年といった大きな意義付けを伴わない海外公演でした。そうではなく、人と人とのつながりと言う、たいへん地味なモチーフから生まれた海外公演でした。これまたとても「萩」らしいと思います。
 すべては岡崎先生とマレック・トロヤノヴィチさんの40年にわたる友情に始まりました。マレックさんは1976―77年にかけて客員研究員として東北大学工学部に在籍し、その間、岡崎先生が当時指揮なさっていたNHK仙台放送合唱団に在籍されました。そのマレックさんが2年前、37年ぶりに仙台を再訪され(しかも「萩」の演奏日に!)、私たちの演奏を聴いてくださり、打上げに参加くださいました。その席上、16年5月にワルシャワで演奏会を行うことが決まったのです。
昨年6月、学会と演奏会打ち合わせを兼ねて末光がワルシャワを訪ねた時、マレックさんはご自分の学問上の弟子であり、ワルシャワ合唱団員であるヤツェクさんを紹介くださいました。ヤツェクさんはさらに、元ワルシャワ合唱団員で今は静岡にご在住の寺門祐子さんを日本側のパートナーとして紹介くださいました。ヤツェクさんはその後昨年9月にカナダに移住されましたが、カナダのヤツェクさんも、静岡の寺門さんも、私たちの様々なリクエストにいつも即座に応えてくださり、この一年間、本当に親身になってさまざまなご準備を提供くださいました。ご両人はいつも身近におられてご一緒に仕事をしてきた感があります。ポーランドの日本人と言えば、宮城学院音楽科卒で、今カトヴィツェで声楽をご勉強中の山口真理さんのご助言も忘れられません。アウシュヴィッツを見てからカトヴィツェでコンサートというのはどう?と提案したことがあったのですが、「アウシュヴィッツを見たらその日は歌えません!」とピシャリと言われ、当方の不明を恥じたことでした。
 ヤツェクさんがご自身の後任として指名されたのがワルシャワ合唱団員、そしてフレデリックショパン音楽大学博士課程のイリーナさんでした。このイリーナさんのお蔭で今回、同大学コンサートホールを無料でお借りすることができました。素敵なマズルカワークショップも彼女の発案です。出発一週間前になって急きょ、ワルシャワコンサートで曲目紹介のMCを入れるようという事になったのですが、唯一の懸念がそのことで演奏会の終了が遅くなることでした。どうしようかと相談した時にイリーナさんがおっしゃった言葉が「演奏会終了が遅くなることは気にしないで!大切なことは、「萩」の皆さんが心地良いこと。そしておっしゃりたいことを全てお話くださること。それに曲目解説があったほうが、ぜったい私たちも楽しめます」でした。心底、励まされました。
ベルリン演奏会も不思議な縁で実現しました。ワルシャワの帰路、研究打合せでベルリンに立ち寄った末光は、共同研究相手のカールステン・ホルン先生のご自宅にお茶に呼ばれました。このお茶会に、氏は合唱愛好家の友人夫妻を呼んで下さっていたのです。頭の中で「ベルリン演奏会」という言葉が回り始めました。思い切ってワルシャワ公演のことを話し、ひょっとしたらベルリンでもと考え始めていると切り出しますと、「大賛成だ、ぜひベルリンにも来るべきだ」と皆さん口を揃えて下さいました。こうしてベルリンコンサートも動きだしたのでした。
 翌日は帰国日でしたが、ホルンさんの発案で午前中のひと時、日独文化センターに寄ってみることになりました。同センターがホルン先生の勤務先(フリッツ・ハーバー研究所)のお隣りにあったというのも奇しき縁でした。文化部長の河内彰子さんとお会いし、会場のご提供と共演団体の斡旋をお願いしました。ご参考までと萩のNYコンサートのパンフとCDを置いて帰りました。末光の帰国後、河内さんからメールが来ました。「資料を拝見しました、これだけの合唱団ならこんな小さなセンターではなくもっと大きな会場でなさってはいかがでしょうか」とおっしゃりながら、これまで幾多の大規模文化交流を手掛けて来られた寺崎哲夫さんをご紹介くださいました。この寺崎さんこそが「萩」にフィルハーモニー小ホールでのコンサートを提案され、カンマーコールという素晴らしい合唱団を共演相手として紹介くださったのでした。寺崎さんはこの他、我々幹事の日本大使館訪問をセッティングくださり、また、ベルリンで難民支援を安易に語ることを柔らかく諌めてくださるなど、今回のベルリンコンサートのスピリットをたいへん良質なものにしてくださいました。
このような今回の欧州公演の経緯を振り返ると、岡崎先生がいつも練習で話しておられる「その時、その時を大切にする」ことの積み重ねから生まれた欧州演奏旅行だったと、つくづく思います。ワルシャワコンサートの第一ステージ、つかつかと斎藤廣子さんのところに歩み寄った先生がおっしゃった一言「何としても、浅見永理子さんをステージに載せたいっ!」を忘れることはできません。岡崎先生から音楽を通して教わったことが巡り巡って今回の欧州公演を実現させ、その公演で、私たちは岡崎音楽を披露することができました。一周ぐるっとまわって恩返しができた感じがします。
この心地よい循環を感じ取ってのことでしょう、今回の旅行では団員、あるいは随行されたお一人お一人が、自分が「萩」に出来る精一杯を奉仕下さいました。忘れた篠笛の楽譜をお嬢さんから写真で送ってもらい、徹夜してそれを浄書された川上裕子さん、ちょっとした思い付きから出たビールのペープサートを見事に作って下さった山内弥生さん、石巻仮設住宅ご婦人たちの素敵な鶴を100羽も寄贈くださった寶鈴子さん、「私にはこれしか出来ないから」と謙遜されながら何日もかかって350個ものミニチュア傘を製作くださった杉山博昭さん。いくら感謝しても足りません。
 先発隊ご一行の、ラインを使った欧州便りもありがたいものでした。天候が冷から暖へと大きく変動したためせっかくの服装情報はあまり役立ちませんでしたが(笑)、ヨーロッパの街々からのお便りは出発前の団員たちの心を確実に欧州へ向けて興奮させてくれました。
重い思いをして打楽器用の敷布を持って行って下さった小川和明・信子夫妻のご苦労も忘れられません。結局使われなかったにも関わらず「仕方ないよね」と文句ひとつ言われなかったのです。和明さんと言えば、ワルシャワコンサート当日のショパン生家ツアーが大渋滞に巻き込まれてみんなパニックになりそうだった時、「本番までまだ3時間あると思えばいいんだよ」とバスの後ろでボソッとつぶやかれた温かい言葉を忘れることができません。境田清隆さんはプログラムやポスターなどみんなのための資料を運んで下さったため、飛行機に預ける荷物が重量超過となって苦労されました。
 今回の演奏旅行を素晴らしいものにしてくれた立役者のもう一つの一群は、若い諸君(「萩のつぎ」)です。彼らの獅子奮迅の働きがなかったら、私たちのスーツケースはそのままベルリン中央駅に延泊していたことでしょう。小暮聡子さんは末光が書いたプログラムの挨拶やライナーノーツの英語を、Uチューブで一曲一曲原曲にあたりながら添削くださいました。しかもトルーマン大統領の孫へのインタビューという大仕事を一週間後に控えながらのワルシャワ参加でした。。
若い諸君は、五月の連休中のツアーということもあり、ひょっとしたら気楽に参加したヨーロッパ旅行であったかと思います。しかしそこで見たおじさん、おばさんたち(失礼!)の燃えっぷり、何よりコンサートの感激、そうしたものが次第に若い諸君に何かを伝えたようです。「また、日本に帰って仕事を頑張れる気がした」、「今まで色んな国を旅して来たけれど、一番短い今回の旅が一番感動した」「俺たちが来ることで親父たちの目が変わったことに気付いたら、何かせずにはおれなかった」などという言葉を聞くと、今でも目頭が熱くなります
 今年の5月の欧州はあの一週間だけが特異的に暖かかったと後で聞きました。天候に恵まれ、素晴らしい音楽に恵まれ、素晴らしい出会いに恵まれたあの一週間が、これからの私たちの人生にとって大切な宝物となることは間違いありません。


<ベルリン演奏会でお世話になりました寺崎氏からの手紙>

萩合唱団団長
末 光 眞 希  様                             ベルリン、2016年5月25日

(前略)

ドイツ・ヨーロッパは、ISテロ事件の影響を受け、不穏な社会雰囲気が漂っています。
そんな状況に不安を感じた日本の人達が、相次いで、ヨーロッパ公演をキャンセルするということを知り、正直、萩合唱団のベルリン演奏会についても、若干の不安をいだいておりました。事情はよく理解できるものの、誤報が一人歩きし、日本の人に過剰な不安を抱かせる結果を招いた、現代の情報過多の時勢に恐ろしいものを感じました。

そんな中、萩合唱団とカマーコアーの見事な演奏は観衆を魅了しました。沢山のファンが「情熱のこもった演奏に感心した。心より感謝する。」と伝えてきています。千羽鶴の贈り物もファンの心をしっかりつかまえたようです。

今回の演奏会の開始は19時だったためか、20時(通常の開演時間)と勘違いした観客もいたようですが、ホールの席は93〜95%になりました。今回は、観光でベルリンを訪れたギリシア、イタリアのファンが、当日、フィルハモニーで返却チケットを手に入れ演奏会を楽しんでくれました。ベルリン市民だけでなく、世界各国から観客として訪れてくれる、フィルハモニーならではの演奏会になったようです。そんな雰囲気を、萩合唱団の皆さんもきっと、舞台から体感されたのではないかと思います。

萩合唱団の皆さんのますますのご活躍お祈りいたします。

敬 具

寺 崎 哲 夫

<欧州演奏会大成功!!>
皆さん、大変お疲れ様でした。皆さん、たくさんの思い出を持って無事に帰国しました。そして、何よりも、今回のベルリン、ワルシャワの公演が、成功裏に終えたことは、これに勝る喜びはざいません。しばらくは、今般の公演の記録、思い出を皆で綴り、さらなる飛躍に向けてエネルギーを蓄えていきたいと存じます。まずは、ホームページに掲示板を設定いたしました。感想、周りからのご意見、写真など、お気軽に投稿いただいたいと思います。




<欧州演奏会のレパ曲> 
0.挨拶曲 「荒城の月」(ベルリン)、「さくらさくら」(ワルシャワ)
1.日本の合唱曲
 @幼年連祷より「花」(新美徳英)
 A六つの子守歌より「思い出の子守歌」(池辺晋一朗)
 B「走る海」(広瀬量平)
2.オムニバス
 @「君をのせて」
 A「恋人中心世界」
 B「遠くへ行きたい」
 C「涙をこえて」
 D「死んだ男の残したものは」
3.幻の祭り より
 @「幻の祭り」
 A「ネプタ祭り」
 B「じゃんがら祭り」
4.合同曲
 @「Heidenroslein」(ベルリン)
 A「さくらさくら」(ベルリン)
 B「Spraw Niech Placze」(ワルシャワ)
 C「乙女の夢」
5.アンコール
 @「ずいずいずっころばし」
、「虹につづく道」
  「五月のそよかぜ」(ベルリン)